TSURUMOTO Naoki

新たな頂、目指す

コロナ禍で2国体が中止

 東京オリンピックで、選手同士が壁の登り方を話し合いながら検討していた「オブザベーション」。競い合うライバルでありながら、共に高みを目指す姿勢に多くの共感が寄せられた。大学3年生のクライマー靏本直生選手は「僕たちには当たり前のことだけど、クライミングらしい一面かもしれない」と話す。
 コロナ禍で2020年の鹿児島、21年の三重と国体が2年連続で中止されるなど大会への出場機会が大幅に減った。元来「観ている人がいると燃えるタイプ」であったがゆえ、開催されても無観客という大会がほとんどで、「モチベーションの維持に苦労する時期もあった」。

木登りが得意な少年時代

 きょうだいが柔道を習っていたため、自然な流れで帯を締めていた。ただ、小学校低学年のころは小柄だったため思うように勝てず、「自分には向いていないな」と感じていた。そんな小学3年のある日、大人の背丈を超える木に軽々と登る靏本の動きを見た父親が、多久高校にあるクライミングウォールに連れてきた。始めて対峙した壁だったが、登頂に成功。佐賀ユースクライミングクラブ(多久市)の1期生、多久高生として、樋口義朗氏の指導を受け、大きく成長した。

新しい流れに対応

 2016年9月、高校1年生の時にイランで開かれたアジアユース選手権に出場。初めての国際大会だったが、ホルダリングの部で優勝、リードの部も 2位に入り、一気に注目選手としての存在感を高めた。
 近年、クライミングのルートセットが、よりダイナミックな動きが出るような、観客が盛り上がるような要素を加味したものに変わってきた。新たなトレンドに対応するためには、基本的な動きだけでは太刀打ちできない。手と足を連動させた、これまでにない動きが要求される。最近は国際ルートセッターがいる福岡市内のジムへ足を伸ばすこともしばしばあり、目下は国内の大会で着実にポイントを重ねる事を自身に課している。大学、社会人とステージを替えながら、“靏本直生のクライミング”を続けるつもりだ。

靏本 直生 選手

競技:山岳(クライミング)

つるもと なおき

2001年3月31日生まれ。小城市芦刈町出身。久留米工業大工学部交通機械工学科4年生。 8歳からスポーックライミングを始める。16年8月、第19回JOCジュニアオリンピックカップ大会リードの部で優勝。同年9月IFSCクライミング・アジアユース選手権テヘラン2016 ポルダリングの部で優勝、リードの部で2位。同年11月のIFSC世界ユース選手権広州2016に出場。リードの部14位、ポルダリングの部16位。 20年、第6回ポルダリングユース日本選手権葛飾大会6位。21年、第34回リードジャパンカップ38位。