OGAWA Yukiya

攻める「引き技」磨く

父の手ほどき

 剣道との出会いは小学1年の時、道場に通い始めた。父が東京農業大の剣道部員として活躍していたこともあり、自然な流れだった。道場でけいこを続けながら地元横浜市の戸塚中に進み、全国中学大会8強と活躍。縁あって伊万里市の敬徳高に進んだ。横浜から遠く離れた伊万里で始まった新しい生活。「自立できるいい機会。挑戦してみようと思った」。
郷里を解く離れ、竹刀を振る日々で支えとなったのは、父の教えだった。剣道で最も大切な礼節。そして基本の動き。剣士としての幹は、「父からいただいたもの」。それは今でも変わっていない。
高校最後のインターハイでは、個人戦で2位と、頂点まであと一歩だった。「自分の力は出せた」と後悔は見せないが、主将として率いた団体戦では結果を残すことができなかった。団体への思いが強かっただけに、どこか、忘れ物をしたような高校剣道との別れだった。

伝統の中央大剣道部へ

 大学進学を意識した時、真っ先に中央大が思い浮かんだ。創部明治29年。120年を超える伝統を持つ名門校だが、剣風は「自由」。大学らしく、自主性を重んじる方針を掲げていた。大きな期待を胸に始まった大学生活。だが、新型コロナウイルス感染症の急激な拡大が立ちはだかった。
 4月入学後、一度は入寮したもののすぐに自宅待機となり、大学の剣道場に足を踏み入れることも制限された。自宅でランニングや素振りしかできない、不自由な時間が続いた。だが徐々に活動も再開され、2年時には史上初の全日本学生剣道大会3連覇に選手として貢献できた。

副主将兼道場取締役

 大学トップクラスの強豪校故に、選手層は厚く、大会でメンバー入りできる補償はない。それでも、チームにギスギスした雰囲気はなく、極めて明るい。「自由」であると同時に、部員それぞれに役割があり「責任」も同居しているからこそ、部員たちは生き生きと動いている。
 部内の最高学年になると、副主将兼道場取締役、主将を支え、道場運営の責任者としてとして名実ともにチームの要となる。自らの剣風を「考えるタイプ」と分析。引き面や出ばな小手など相手の動きに呼応した攻撃が得意だが、その攻撃を引き出すために攻めの姿勢を見せることが何より大切になる。攻められてから対応することと、攻めを引き出した上で攻勢をかけることには大きな違いがある。幼いころから大舞台を踏み続けたことで、気持ちが強くなっていることがここに来て生きているという。
 大学では法律を学ぶ学生であり、卒業後はやりがいのある仕事をとしながら、企業の剣道部で活動を続けるつもりだ。2024年の佐賀国スポでの活躍をはじめ、「これからお世話になった方や道場に恩返しをしなければ」と思い始めた。剣を極める道は、まだ半ばだ。

小川 夢希也 選手

競技:剣道

おがわ ゆきや

神奈川県横浜市出身。敬徳高―中央大。小学1年生の時に剣道をはじめる。中学時代にも全国大会で活躍し、敬徳高に進学。全国総体個人2位となり、中央大へ。史上初の全日本学生剣道優勝大会の3連覇に貢献。中央大剣道部副主将。