目標はロス五輪でメダル獲得
人影がまばらなSAGAアクアの50メートルプール。トライアスロンの北條巧選手は一番端のコースを占有し、腕で水を掻く動きやキックなど一つ一つの動作を確かめるようにゆっくりと泳ぐ。「次の試合に向けて、今日はリカバリーする日。ゆっくり体の動きを確かめながら泳いでいます」という北條選手だが、時折25メートルダッシュを織り交ぜるなど激しい泳ぎを見せる場面も。コーチが考えた練習メニューとは少し違うが、「コーチをつけずに自分一人で練習してきた期間が長いので、自分の考えも入れながら練習している」と語る。
大学からトライアスロン、4年で日本一
高校までは競泳選手として活躍。バタフライが専門で、全中やインターハイに出場するなど実績を残した。トライアスロンに転向したのは日本体育大学に入学した時。競泳で伸び悩んでいたこともあり、「競泳は生まれ持った資質に頼る面があるが、トライアスロンは持久力競技で練習の量が結果に直結する。練習をやった分だけ成績が出るのが魅力だった」という。大学時代は専門のコーチがおらず、学生主体でメニューを考え、「練習は真面目にやる方なんで、大学時代はとにかくたくさん練習した」と振り返る。3年時でインカレ2位、4年時に挑んだ日本選手権では、社会人選手らを抑えて頂点に立った。
大学卒業後は東京の実業団のチームに加入し、目標はパリ五輪でメダルを取ることだった。周囲からは「東京五輪に出られるのでは」と言われることも多かったが、本人は「五輪に出るだけでは意味がなく、メダルを取ってこそ」と考えていた。そのために照準を合わせたのがパリ五輪。トライアスロン選手は30歳前後がピークと言われるが、パリを迎える時が28歳だった。「パリでメダルを取って、ロスで金と考えていたんですけどね」。日本チャンピオンとして、世界で戦える選手になりたいとの思いも強かった。
コーチ付け、練習の目標がはっきり
佐賀への移住は入籍がきっかけ。2022年度以降は海外のレースが主体となり、日本では埼玉県の実家に拠点を置いていたが、妻の職場が福岡だったため、九州で練習場所を探していた。国スポに向けてSAGAスタジアム、SAGAアクアなどが整備され、トライアスロン協会も協力的だったことから、佐賀に拠点を定めたという。
パリの後はセルフコーチングに区切りをつけ、外国人のコーチをつけた。コーチとはオンラインで連絡を取り合い、アプリを介してデータを送受信する。それまでは感覚で練習している面もあったが、コーチと組んだことで「一つ一つの練習の目的が持て、練習の内容や強度の意味がはっきりした」と効果を語る。セルフコーチングが長かったこともあり、データだけに頼らず、体の状態などは自分の感覚で判断できることも強みとなっている。コーチもつき、体制は整ったと言える。これからの目標は「ロス五輪。出場することは最低限のノルマで、メダルを狙いたい」と力強く語った。