NANRI Kenji
2度目の五輪を目指し、地元佐賀から再始動
悲願の五輪出場と引退
選手としてのラストイヤーと決めていた2021年。新型コロナウイルス感染拡大で1年延期された東京五輪に出場し、全日本選手権を制しました。悲願だった五輪の舞台に立ち、日本一での1年の締めくくり。高校進学後、10年以上にわたって日本のトップ選手として国内外で戦い続けてきましたが、「これ以上、モチベーションの維持が難しかった」と引退に至った思いを語りました。
引退を決めてからは船も手放し、海とは無縁の生活を送っていました。「いつかは地元に」という思いもありましたが、まずは所属先の百五銀行(三重県)の一員として、通常の業務に就いていました。一方で、地元佐賀県のセーリング関係者の間では、まだまだ第一線で活躍してほしいとの要望が強くありました。そんな両者の思いを、佐賀県が進める「SSPアスリートジョブサポ」が結びつけました。
佐賀で再スタート
新たな所属先は、ポンプや水門などをつくるミゾタ(佐賀市)。2022年11月1日から、技術本部管理課の一員として、設計業務のサポートなどを担当しています。週末を含め、海に出る日は週3~4日。慣れ親しんだ、唐津を拠点としました。
本格的な復帰戦に選んだのは、1年ぶりの全日本選手権でした。大会は3日間で7レースを走りました。最後はタイブレークになる接戦を制し、見事に2連覇を果たしました。「準備期間が短く不安はあったが、優勝できてよかった。会社の皆さんにもいい報告ができた」と喜びを語りました。ただ、このレースでケガをするなど約1年間のブランクも感じました。「体作りからやり直しです」と、今は有酸素運動などのメニューを増やし、持久力の向上や体幹の強化を図っています。
小学3年から海へ
マリンスポーツが好きだった父親の勧めで、小学3年からセーリングを始めました。最初は純粋に、風に乗って海を走ることを楽しんでいました。競技として真剣に取り組み始めたのは、唐津西高への進学がきっかけでした。佐賀市内の自宅から唐津へ通学しながら、セーリングの技術を磨きました。2008年、高校1年で出場した大分国体で優勝すると、「楽しい」から「勝ちたい」に変化したといいます。その後、国体を控えた三重県内の企業から声がかかり、佐賀を後にしました。
2度目の五輪へ
レーザー級は世界的には競技者が多く、欧米各国やオーストラリア、ニュージーランドなどでも盛んに行われています。国内トップ選手であっても、日本の五輪出場枠を得ないことには4年に1度の舞台に立つことはできません。東京に先立つロンドン、リオデジャネイロでは悔しい思いをしました。
2度目のセーラー人生が始まった11月1日、長女の糸ちゃんが生まれました。「娘にセーリングを勧めますか」との問いに、「本人に任せます」と優しい笑顔で答えます。。「ただ、日本や世界で戦う姿を見せられれば、何か感じてくれるかな」。2024年は佐賀国スポで優勝し、パリ五輪で東京を上回る成績を目指すとの決意を見せました。
南里 研二 選手
競技:セーリング
なんり けんじ
1992年生まれ。佐賀市出身。城南中-唐津西高。小学3年からセーリングを始め、国体少年男子で3連覇するなど活躍。佐賀県ヨットハーバーなどを経て、百五銀行(三重県)に所属し2021年の東京五輪に出場する。同年11月の全日本選手権優勝を花道に引退するも、地元佐賀からの熱心な誘いに応え現役に復帰し、帰郷。2022年11月の全日本選手権でレースに戻り2連覇を果たす。株式会社ミゾタ所属。