FURUTA Ikuo
佐賀で強くなる
「可能性試したい」
「自分の可能性を試してみたい」。フェンシングとの出合いは、出身地の福岡で行われているスポーツに関するタレント発掘事業がきっかけ。ラグビーやボートなどの競技の経験を重ねていく中でのことだった。
高校生とも剣を交わす機会があった体験期間で、勝敗がはっきりしているところが「自分に合っている」と感じた。個人の能力で勝負できる。世界の舞台を目指したい。そんな思いが湧き上がった。
フェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルの3種目があり、現在はエペを主戦場とする。ほかの種目と違い、攻撃に優先権がなく、頭部からつま先、足の裏まで全身どこでも先に突いた方がポイントになるという分かりやすい点が魅力。決闘に最も近い種目と言われ、競技人口が3種目の中で最も多いが、ルールがシンプルなだけに攻撃には駆け引きが大事になる。
世界を目指し
古田選手がエペで戦うのは大学から。高校ではフルーレが主体だったが、「世界で活躍したい」という強い思いで、日本体育大学フェンシング部に入り当時2部落ちしていたエペ種目を選んだ。
本格的に始めてからは、プレースタイルの模索が続いた。地道なトレーニングで持久力、瞬発力を培い、技術力を磨く。大学OBらからも教えを請いながら、自分で考え抜く日々が競技力を引き上げた。「2年の後半ごろから思った動きができ始めた」
4年時には、全日本学生フェンシング選手権大会団体で2部から優勝に駆け上がり、全日本選手権ではベスト8入りを果たした。
国際大会への参加も刺激になった。2018年のワールドカップ(ドイツ)で初めて日本代表に選ばれ、昨年のU-23アジア選手権では団体3位に貢献。同年のワールドカップ、ハンガリーグランプリでは予選を突破した。
世界の舞台では、「体格、パワー、攻撃のタイミングなどレベルが違った」と衝撃を受ける。日本では考えられないような戦術も繰り出された。しかし、世界基準の戦いに気おされたわけではない。逆に「トップの水準を知って新鮮だった」と、原点に返って挑戦心がかき立てられたという。
日本フェンシング協会の太田雄貴会長が中心となった、フルーレ日本代表チームが銀メダルを獲得したロンドン五輪では、あこがれしかなかった。世界を知った古田選手は「エペで頂点を目指す」と競技へのモチベーションを上げた。
佐賀をけん引
大学を卒業し、佐賀県の「SSPアスリートジョブサポ」事業で中野建設に就職した。アットホームな職場で競技へのサポートも大きい。2019年に完成した県フェンシング場が日本オリンピック委員会(JOC)の強化センターに認定され、練習環境は充実しているという。
「フェンシングは東京だけじゃなく、佐賀でもやれることを見せたい」。未来のフェンシング界のためにも、地方で成長することへの強い意志を語る。2014年のパリ五輪は大きな目標。そして同年、佐賀で開かれる国民スポーツ大会では「佐賀をけん引するような活躍」を目指す。佐賀からフェンシングの魅力を発信するつもりだ。
古田 育男 選手
競技:フェンシング
ふるた いくお
1997年、福岡県大野城市出身。福岡魁誠高ではインターハイ出場。日体大で本格的にエペに取り組み、4年時に全日本学生選手権団体で優勝、全日本選手権個人でベスト8入り。ワールドカップ、グランプリ大会など国際大会へも出場。2019年のU-23アジア選手権では団体3位に貢献した。中野建設勤務。