MINOHARA Yukari

日本人初の、デフ自転車金メダルを

2度のデフリンピックで銅4個

 4年に一度開かれる、聴覚障害者のためのオリンピック「デフリンピック」。パラリンピックよりも記録を重視する“競技志向”であることが特徴で、運営も障害者らが自ら行う。夏季大会は1924年にフランスで第1回が開かれ、2025年の第25回東京大会は100周年の記念大会となる。21競技に、70~80か国の選手たち約3000人の参加が見込まれている。
 初めてのデフリンピックは、2009年の台北大会。バスケットボールの代表メンバーの一人だった。2013年のソフィア大会(ブルガリア)からは3大会連続、自転車(ロード)で出場している。東京大会に出場すれば、5回目のデフリンピックを迎える。
2017年のサムスン大会(トルコ)では、個人タイムトライアルで3位と初めてのメダルを手にした。2021年のカシアス・ド・スル大会(ブラジル)では個人タイムトライアルを含む3種目で銅メダルを獲得する活躍を見せた。

負けた悔しさが原動力

 自転車競技を始めたのは2010年、大人になってからだ。子どものころは特に「これ」と決めて打ち込んだスポーツはなく、卓球やバドミントン、陸上など様々なスポーツに親しんだ。高校時代にデフスポーツと出会い、バスケットボールを始めた。持ち前の運動能力の高さもあり、2009年のデフリンピック(台北・台湾)に日本代表の一員として出場することができた。6位入賞は果たしたが、メダルには手が届かなかった。その時、「勝ちたい」という勝負に対する強い気持ちが芽生えた。
そのころ、趣味でサイクリングの旅をするほど自転車に興味を持っていた。自分の力だけで戦う個人プレーに興味がわいたことなどもあり、自転車競技に転向した。すると、2013年のソフィア大会(ブルガリア)に自転車競技の日本代表としてするほどの急成長を見せるが、初めて出場したレースの結果は最下位。悔しさが強烈に残った。この気持ちは今も忘れていない。厳しいトレーニングやレースの勝負所で、折れそうになる心を「この気持ち」が支えている。

2025年の東京大会

 レースでは、1日に100キロ以上走ることもあるロードレース。高い心肺機能だけでなく、回復力や、必要なエネルギーを摂取するための胃腸機能などアスリートとして様々な能力が求められる。ベテラン選手にとって年齢を重ねることはひとつのハードルとなりかねないが、「常に課題を考え、アップデートしている」と競技力向上に余念がない。「ピークがいつ来るか分からない」と語る表情には、世界で戦い続けてきた自負も見える。
 アスリートにとって、競技を続けられる環境を得ることは簡単なことではない。所属する企業を始め、周りのサポートには感謝しても仕切れない。目標は東京大会での、自転車競技で日本人初となる金メダル。「手を抜かないように全力で走ることが強み。東京大会で会いましょう」という言葉に、並々ならない決意が込められている。

簑原 由加利 選手

競技:自転車・デフ

みのはら ゆかり

1983年神埼市生まれ。佐賀県立ろう学校で学ぶ。福岡高等聴覚特別支援学校に進学し、デフスポーツとしてバスケットボールを始める。2009年デフリンピック台北大会に出場。2010年から自転車競技を始め、2013年のソフィア大会から3大会連続、自転車競技で出場。2017年サムスン大会で銅メダル1つ、2022年のカシアス・ド・スル大会で3つの銅メダルを獲得した。日本ろう自転車競技協会強化指定選手。株式会社Speee所属。