
EJIMA Yoshitaka
日本男子サッカー、初の世界一を
「音のないサッカー」と呼ばれるデフ(聴覚障害)サッカー。選手たちは頻繁にルックアップして、アイコンタクトなどでコミュニケーションをとり、ゲームを組み立てていく。ルールは普通のサッカーと変わらない。障害があっても、サッカーは誰とでもできる。ボールを蹴れば、すぐに打ち解けることができる。そう信じて続けてきた。
サッカーとの出会いは中学生のころ。テレビを見ていると、聴覚障害がある選手がサガン鳥栖ユースのテストを受けていた。「俺にだってできるんじゃないか」と思った。高校に進学すると、その選手が上級生にいた。仲間に入れてもらい、平日は学校で、休日は社会人チームに混ぜてもらい、サッカーとの生活が始まった。自分でも「技術がある選手ではない」と分析している。ただ、豊富な運動量や広い視野、1対1でのフィジカルの強さを生かしディフェンダーとしての頭角を現していく。
レプロ東京の設立と躍進
大学進学後も体育会サッカー部で活動し、チームに貢献。就職で上京し、鉄道関係の会社でフルタイムの正社員として働きながら、サッカーを続けてきた。だが、当時のデフサッカーは聴覚障害者のみでの大会で、その先はなかった。「もっと広い舞台で戦いたい」。思いを共にする聴覚障害の選手らと健常者の選手が集まり、社会人リーグへの参加を試みた。「耳が聞こえない選手が、健常者と安全にプレーできるのか」といったリーグ側の懸念などもあり、加入は決してスムーズではなかった。粘り強い交渉や、デフ選手のプレーのレベルの高さが徐々に浸透し、2018年、聴覚障害者らで作るサッカーチーム「レプロ東京」が東京都社会人サッカーリーグにデビューした。
現在、レプロ東京に所属するデフサッカーの日本代表は3人(2025年2月現在)。チームには健常者の選手も増え、チームが目指す「共生社会の実現」に向けて着実に前進を続けている。2021年シーズンから3部参入。24年はリーグ5位と2部への昇格も視野に入ってきた。デフサッカーのパイオニアとして、活躍の場を広げている。
東京デフリンピックで優勝を
2006年からはデフサッカーの日本代表として世界を相手に戦ってきたが、長いこと思うような結果を出すことができなかった。だが、デフサッカーにもアスリート雇用の選手などが増えてきたことなどもあり、日本代表のレベルも向上。代表合宿などの強化も実り、2023年の世界ろう者サッカー選手権大会で準優勝し、世界の頂も見えてきた。
2025年には東京デフリンピックが開かれる。40歳で迎える大会は、「自分でも最後の挑戦だと思っている」。夫婦ともに共働きで、子育てなど忙しい毎日だ。正直に言って、何度もサッカーをやめようかと思うときもあったが、「故郷、佐賀からの応援があったからここまで続けられた」と心から感謝している。その集大成が、自国開催のデフリンピックだ。
サッカーの男子日本代表は、トップのA代表やユースなども含め、どのカテゴリーでも「世界一」の称号を手にしたことがない。同じ八咫烏(ヤタガラス)のエンブレムを胸に抱く日本代表として初めて世界一になる、「歴史に名を遺す」という強い思いでピッチに立つ。世界の頂はどのような景色なのか、楽しみだ。
江島 由高 選手
競技:サッカー
えじま よしたか
1985年生まれ。佐賀市出身。高校時代にサッカーを始め、大学で体育会サッカー部に入部。JR東日本入社後も、フルタイムで勤務をしながらクラブチームでサッカーを続ける。2018年、レプロ東京設立と同時にチームへ加入。東京都社会人サッカーリーグに参入。4シーズン目の2024年はリーグ3部4位。
日本代表として、2009年台湾デフリンピックに出場後、数々の国際大会に出場。2023年第4回世界ろう者サッカー選手権大会準優勝。2024年第10回アジア太平洋競技大会優勝。2025年の東京デフリンピックで悲願の金メダルを目指す。福岡高等聾学校-四国学院大卒。東京都社会人リーグ3部のレプロ東京所属。