
SATO Ken
国スポ バンクの初代王者
自転車トラック競技の長距離走「ポイントレース」。約40㌔にわたるタフなレースで、佐藤健選手(チームSSP)は圧倒的な強さで佐賀で行われた最初の国スポの頂点に輝いた。今春に大学院卒業を控え、将来はナショナルチーム入りを目指しながら、2025年の滋賀国スポでも佐賀県所属として2連覇を見据える。
日本大学大学院スポーツ科学研究科で運動生理学を専行。大学がある東京と佐賀を行き来し、修士論文の合間をぬってチーム佐賀の合宿に参加してきた。大学で学んできたことを生かし、自らが考案した効率のいい練習メニューを合宿にも取り入れた。合宿の回数をかさね、「高校生らと一緒に練習し、彼らの成長を間近で見ることができた」と若い選手に刺激をもらいながら、大学院に戻っても地道に練習を続けた。
国スポでは、4人が一列になって速さを競う「チームパーシュート(4㌔団体追い抜き)」に最初に出場した。チームパーシュートでは佐賀国スポから1人以上の青年選手を含めるルールに変更された。この1年間一緒に練習し、一番の成長株の小林優太選手(龍谷高)を加えた4人で挑んだ。約0.4秒差で競り負け、決勝進出は逃したものの、これまでのチームベストを約6秒縮める4分16秒235をマーク。成年選手4人で出した鹿児島国体の記録も上回り、練習してきた力を大舞台で発揮した。
団体の勢いを個人種目にもつなげた佐藤選手は、ポイントレースで予選を圧倒的強さでトップ通過。決勝でも一度も首位を譲ることなく、武雄競輪場のバンクで堂々の力を見せつけた。
福岡県出身。トライアスロンをやっていた父に連れられ小学1年ごろからサイクリングを初めた。小学5年には本格的なレースに出場するようになり、福岡県の英彦山であったヒルクライムなどにも挑戦した。中学ではクラブチームに所属、高校ではさらなる強さを求めて強豪の九州学院(熊本県)に進学した。
高2の春、大きな災害を経験した。熊本県を震度7の大きな揺れが襲った。普段練習している熊本競輪場のバンクもひび割れて使えなくなった。九州選抜に初めて選ばれ海外遠征を数週間後に控える中での被災。寮生活の熊本を一時離れ地元福岡で練習を続けた。「普通に練習できることが当たり前じゃない」と実感したいい、「大変なときでも自分が遠征に行けるように環境を整えてくれた指導者など」回りのサポートにも感謝しながら、韓国での5日間に渡って行われた過酷なレースを乗り切った。「メンタル面でも大きな経験になった」と自信につなげた。同年、青年男子で出場した岩手国体のポイントレースで初優勝。3年時には愛媛国体ロードレースで準優勝に輝いた。
進学した日本大学では、1、2年でのけがを乗り越え、大学4年時には全日本学生選手権のチームパーシュートで学連新記録で優勝するなど華々しい活躍を収めた。栃木国体後に声をかけられ、チームSSPの一員に加わった。ロードレースのチームに所属している孫崎大樹選手や西原裕太郎選手と2年間チームを組み、「種目が違う選手たちともチーム佐賀という一つのまとまりを持てたことは新鮮だった」と互いに高め合った。
佐賀国スポを終え、次の滋賀国スポに照準を合わせる。大学院卒業後は、本格的に佐賀に住んで練習を続けていくつもりだ。「練習するには交通量が多い東京よりも、圧倒的に佐賀がやりやすい」とレベルアップを目指す。「どの個人種目も連覇は難しいと思うが、頂点だけを見ている」。国スポ初代王者は力強く言い切った。
佐藤 健 選手
競技:自転車
さとう けん
自転車トラック競技の中・長距離をメインに活躍する。中でも、5周ごとに得点を積み重ねて順位を決めるポイントレースで勝負強さを発揮。駆け引きと持ち前の持久力で、2023年の鹿児島国体で準優勝し、24年の全日本選手権で5位入賞。同年の佐賀国スポでは頂点に立った。1999年、福岡県出身。