
KUROKI Yuya
トップチーム昇格が目標
サッカー・Jリーグ・サガン鳥栖のアカデミー「U-18」に入団して間もない2023年3月、16歳以下の日本代表に選ばれ、国際大会に出場した。開催国のフランスなど4カ国の代表チームを破って準優勝。味方を統率するセンターバックとして決勝までの全5試合に出場し、自信を深めた。「世界が相手でも戦える手応えを感じた。自分の今の実力を知る機会にもなった」。
アカデミー1年目から先発
所属チームは、高校年代を対象にしたサガン鳥栖のアカデミー。年上の選手もいる中で1年目からメンバー入りを果たし、この年代最高峰の高円宮杯U-18プレミアリーグでは11試合に先発出場した。高校生のプレースピードにも少しずつ順応し、相手選手との1対1の場面での守備力強化という課題も見えた。
入団後のチームの成績は振るわなかった。年間を通して行われるプレミアリーグ。22年に西地区を制し、日本一になった大会だが、23年の成績は8勝3分け11敗で負け越し。けがで離脱する選手も相次ぎ、西地区の12チーム中9位に低迷した。
「1年目よりももっと高い位置で競い合う」と意気込んだ24年は、チームだけでなく、個人としても実力が試されるシーズンだった。リーグ戦の先発出場は全22試合中10試合。1年目よりも低い数字にとどまった。チームの順位は前年から三つ上げたものの、目標の「タイトル奪還」を逃した。九州など全国9地域の代表32チームで頂点を争う日本クラブユース選手権はベスト16。グループステージを含め、先発出場の機会は1試合もなかった。
出場し続ける難しさ痛感
鳥栖アカデミーでの2年間を振り返ると、「本当に苦しかったし、悔しかった」と本音が漏れる。03年にU-17日本代表として臨んだアジアカップでの出場は2試合にとどまり、いずれも本職のセンターバックではなく、サイドバックでピッチに立った。同世代の選手との競争を勝ち抜き、試合に出場し続ける難しさを痛感した。
サッカーを始めた幼い頃から、プロの選手になるのが夢だった。主に中盤や守備的ポジションで経験を積み、ゴールを決める喜びに加え、自陣からパスをつないで攻撃を組み立てる楽しさにひかれた。視野の広さと判断力、パスの精度に磨きをかけ、地元・大阪のクラブチームに所属していた中学3年の時、サガン鳥栖アカデミーからオファーを受けた。他のJリーグクラブのアカデミーからも誘いを受けたが、その年に「日本一」になった鳥栖を選んだ。
単身で佐賀に来て2年。進学先の龍谷高校(佐賀市)にも多くの友だちができた。クラスメートには実力のあるサッカー部や野球部の生徒もおり、互いに刺激を受けているという。
これまでで最も印象深い試合は、16歳以下日本代表として臨んだ23年の国際大会。地元フランスとの試合では、敵陣に入るたびに客席から大ブーイングを浴びた。観衆の熱気がピッチを覆うような光景を見て、サッカー文化の成熟ぶりを感じた。
「ライバル」と呼べる戦友もできた。鹿島アントラーズのアカデミーに所属する同学年のセンターバックだ。年代別の日本代表として共にピッチに立ち、「本職の守備だけでなく、攻撃につなげるパスのセンスも自分より上。負けられないと思った」と振り返る。
必要とされる選手に
アカデミー最終年の25年はまさしく真価が問われるシーズンになる。年間を通して争うリーグ戦は4月に開幕し、その間には全国の強豪がひしめくカップ戦も控える。「練習から強度の高いプレーを心掛け、攻守両面でチームに必要とされる存在になりたい」。トップチーム入りを果たし、Jリーグで活躍する選手になるためには日々の積み重ねが欠かせないと自覚する。
黒木 雄也 選手
競技:サッカー
くろき ゆうや
2007年12月4日大阪府生まれ。幼稚園の頃にサッカーを始め、地元のクラブチームなどで攻守の要として活躍。中学卒業と同時にJリーグ・サガン鳥栖のアカデミー「U-18」に入団した。高い守備力とパスの精度が評価され、16歳以下、17歳以下の日本代表にも選出、23年にフランスで開かれた国際大会でチームの準優勝に貢献した。身長183センチ、体重74キロ。