HIGUCHI Yuka
佐賀国スポで自分らしい登りを
己の体のみで頂へ
東京五輪から正式種目となったスポーツクライミング。カラフルなホールド(突起物)をつかみながら高くそり立つ壁を己の身体のみで登って頂を目指す。世界の舞台で活躍してきた樋口結花選手は「難易度の高い壁を登れた時の達成感が競技の魅力」と無邪気な笑顔を浮かべる。
クライミングには、壁を登り切る速さを競う「スピード」、制限時間内にいくつのコースを登れたかを競う「ボルダリング」、到達できた壁の高さを競う「リード」の3種目がある。安全を確保するためにロープなどは装着するが、登るための道具は一切使わずに素手でよじ登る。力だけでなく指の動きや柔軟性、コースをイメージする頭脳も必要とされ、新しいジャンルのスポーツとしても今、人気を集めている。
父親でもある多久高の樋口義朗監督は県内の先駆的な指導者。兄の純裕さんも2016年の日本選手権で優勝、18年のワールドカップ(W杯)で3位に輝くなどの実力を持つ。「どうして始めたのか全く覚えてない」と苦笑いするほど、幼いときから競技が身近にあり、自然とのめり込んでいった。
小学生で頭角表す
小学2年から本格的に競技を始めると、小学6年で挑んだ日本ユース選手権で優勝するなど早くも頭角を現した。リードを得意とし、19年8月の世界ユース選手権で7位、同12月に行われたアジアユース選手権では優勝を飾り、全国高校選抜大会では団体2連覇を達成した。
持ち味は、ホールドをつかむ指の強さで、普段の練習から弱音を吐かない精神面の強さも兼ね備えている。年々日本は選手層が厚くなり実力が拮抗。ホールドやルートの難易度が上がっている中、樋口選手は冷静に壁と向かい合ってきた。
昨年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で練習場所の確保に苦労した。さらに、右足のけがにも苦しみ、1カ月以上の間、壁を登ることができなかった。2020年9月に開幕した各種目の日本一を決めるジャパンカップへの出場権かけたジャパンツアーでは、同10月の岩手・盛岡大会でボルダリング部門20位、スピード部門4位、同11月の愛媛・西条大会では、スピード部門10位、リード部門22位など、満足のいく結果は得られず「思うように練習できなかったことで、昔は感覚で登れていたのに今は緊張するようになった」と話す。
これまでとは違う「登り」を
また、成長期を迎えて体重の増加や筋肉のつき方も変化し、これまでとは違う「登り」が求められている。「正直悔しい気持ちもある。でも今は自分に合った登りをしていい方向に持っていければ」と樋口選手。数字だけにとらわれずに自分なりの登りを模索し、目の前の課題を1つずつ解決していった先に、結果がついてくると信じている。
昨春からは西九州大の健康栄養学部に進学し、「自分が選手としてだけでなくサポート役として、佐賀から世界で活躍できる選手を育てたい」と栄養士の資格取得にも励んでいる。2024年には地元・佐賀で国民スポーツ大会が開催される。「クライミングの認知度がもっと上がって多くの人に競技の魅力を知ってもらえるよう、自分らしい登りをしたい」
樋口 結花 選手
競技:山岳(クライミング)
ひぐち ゆか
2001年、佐賀県多久市出身。小学2年から競技を始めると、小学6年で挑んだ14年の日本ユース選手権で頂点に立った。リードを得意とし、18年のJOCジュニアオリンピックで2位、19年の日本ユース選手権では優勝。西九州大学健康栄養学部3年。