
国スポ3位、次は日本一へ
佐賀市のボウルアーガスを会場に開かれた、SAGA2024国民スポーツ大会のボウリング競技。成年女子団体(4人チーム)の3位争いは、1点を競う厳しい戦いとなった。早朝から多くのゲームで使われたレーンは、オイルコンディションが複雑で思い通りの投球ができず、我慢のボウリングを続けていた。それでも、佐賀県チームは互いに声を掛け合い、集中力を保って確実にスコアを重ねた。
「他人のスコアは気にしない。自分との勝負」そう言い聞かせて最後の投球を終えると、4位の群馬県を1点差で抑えて表彰台にたどり着いたことを知った。「これまで支えてくれた人たちに恩返しができた」。周りのサポートがあってこそ、選手は競技に集中できることを小さいころから学んできた。選手は結果でしか恩返しできないことを知るからこそ、自然と涙が流れた。
父に連れられてボウリング場へ
ボウリングとの出会いは小学2年生のころ。趣味でボウリングをしていた父に連れられて、レーンに立った。転機は小学4年のある日、いつものように父とボウリング場で遊んでいると「大会に出てみないか」と声をかけられた。競技として取り組むつもりはなかったが、「面白そう」と出場することにした。
結果は、静岡県大会で優勝。190点台の好スコアを記録する、堂々たる成績だった。すると、あれよという間に全国大会まで進んだ。練習をすればするほど、スコアは伸びた。「もっとやってみたいな」。そう思いながら続けていると、中学3年時には岩手国体に少年女子のメンバーとして出場。個人で4位、団体も3位と好成績を収めた。高校以降も続けようと決めた。
全日本ナショナルチームメンバー
高校でもボウリング競技を続けるといっても、簡単ではない。大会は、金曜日から日曜日にかけて開かれ、国際大会となれば2~3週間は学校を休まなければならない。複数の学校に相談するも、なかなかいい反応を得られなかったが、静岡市の富岳館高が応援してくれると知った。
進学後は必死にボウリングと学業を両私立させ、高校3年時からは全日本ナショナルチームのメンバーに選出された。大学への進学も決め、これからというときに、コロナ禍が襲ってきた。高校の卒業式もなくなり、大学の入学式も開かれなかった。そして何より、ボウリング場も閉鎖され、活動の場を奪われた。閉鎖は3カ月ほどに及び、練習さえできない。貴重なボールをひとつ、失うことを承知で、自宅庭などの土の上で投げる日もあった。徐々に再開するボウリング場も出てきたが、大会は全てキャンセル。ナショナルチームメンバーに選出されても、活躍の場はなかった。
佐賀国スポ出場のため、佐賀へ
大学生になるとき「ボウリングの費用は自分で稼ぐ」と決め、アルバイトにも精を出した。用具の費用に遠征費など、かなりの額が必要になる。これまでの家族からの支援に感謝しつつ、自立への思いを強くした。
大学3年時から、徐々に大会も再開され始めた。目標としていたNHK杯全日本選抜ボウリング選手権大会で3位に入ったが、コロナ禍で満足に試合ができていなかった分、まだまだボウリングに打ち込みたいという気持ちが大きくなっていた。そして大学卒業した2024年春、ボウリングに真正面から向き合うことができる環境として、佐賀を選んだ。
最初の目標は、「佐賀国スポで結果を出すこと」。新天地での生活に不安もあったが、佐賀県チームのメンバーらの支え合い、表彰台に立った。大きな責任を果たした瞬間だった。そしてこれからは、一人のボウラーとしてより高みを目指す。まずは、まだ手にしていない「日本一」の称号だ。佐賀から日本、そしてアジアの頂点を目指した挑戦が始まる。