MITSUSE Takashi

夢はデフリンピックで金メダル

 児童・生徒が家路につき、静まりかえった放課後の東京都立王子特別支援学校体育館。デフバスケットボールの三瀬稜史選手(31)は仲間が集まるまでのひととき、1人で柔軟体操やシュート練習を行い、体を温めていた。2025年11月に「東京デフリンピック」が開催される。男子代表の合宿に参加するなど選考の当落線上にいる三瀬選手は「自分らしく全力でプレーし、日本代表の座をつかめるように努めたい」と力を込める。

チームワークの大切さ学ぶ

 バスケットボールとの出合いは佐賀県立ろう学校中等部時代にさかのぼる。部活は3年間陸上部だったが、昼休みに遊びでバスケットボールをプレーするうちに競技の魅力にひかれていった。「後輩や先輩が競技経験者で圧倒された。悔しさから『いつか倒してやる』という気持ちだった」と振り返る。「バスケは繰り返し練習することで上達する競技。上達した達成感や奥深さに触れ、バスケに力を入れたいと思った」。福岡高等聴覚特別支援学校では迷わずバスケットボール部を選び、筑波技術大学進学後も競技を続けた。

 高校、大学はどちらも試合に出てもなかなか勝てないチームだった。チームメートと「まずは1勝」を目標に掲げ、専門的な指導者がいない中、さまざまな努力を重ねたという。「なぜ勝てないか」と悩んだこともあったが、チームメートとコミュニケーションを取りながら工夫を重ねた。高校、大学では1勝を挙げることはできなかったが、「チームワークの大切さを学ぶ貴重な機会だった」と振り返る。

目線やハンドサインで意思疎通

 デフバスケットボールの基本ルールは一般のバスケットボールと同じで、音が聞こえないのが一番の特徴。三瀬選手「海の中で呼吸している感覚に近い」と表現する。そのため試合中は味方同士の意思疎通が難しいが、「サインバスケ」という目線やハンドサインを使った独自のコミュニケーション手段を駆使して戦っている。自身の武器は「3ポイントシュート」。NBA選手のフォームを参考にしながら自らに最適なシュートフォームを見つけ出し、今も技を磨き続けている。

 現在所属している東京Resonaters(レゾネイターズ)はろう者と聴者の両方が所属するチームで、三瀬選手が代表を務める。ろう者と聴者が共に出場できる「全国デフバスケットボール大会」は大きな目標で、ベスト4入りを果たせるチームづくりを目指して練習を重ねる。

 2006年3月の佐賀新聞に掲載された「ボクの夢私の夢」で、三瀬選手は「デフリンピックで金メダルを撮りたい」と夢を描いていた。当時はサッカーか陸上で活躍するつもりだったが、競技が変わった今でも金メダルをつかむ夢は変わっていない。「この夢が競技を続けている原点だと思う。代表に選出されたら全力で挑みたい」。夢の舞台に向け、気合を入れ直した。

アスリート情報

三瀬 稜史選手
(みつせ たかし)
競技: バスケットボール(デフ)
1994年2月19日生まれ。佐賀市出身。中学時にデフバスケットボールを知り、高校から本格的に競技を始めた。日本代表として「デフバスケットボールアジアカップ」や「アジア太平洋ろう者バスケットボール選手権」への出場経験があり、現在も代表強化選手として選出されている。最近のはまっているのはコーヒーで、自分で豆をひいてドリップしたコーヒーをゆっくり味わう時間がリラックスできるひととき。
三瀬 稜史
三瀬 稜史
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