ITO Inochi

学識武器にさらなる進化を

 3度の五輪挑戦も、夢舞台には届かなかった。それでも、35歳を迎えなお、自身の肉体や精神と向き合い進化し続ける。チームSSP所属、フェンシング・エペの伊藤心(いのち)はベテランの域に差し掛かった今、競技に対する向き合い方に変化があった。「フェンシングができる喜びをこれまでの現役生活の中で一番感じている」と充実した表情を浮かべる。

 秋田県二ツ井町(現能代市)出身。人口約1万1千人の小さな町で、盛んに行われていたのがフェンシングだった。幼少期から野球に取り組んだが、同級生よりも運動神経が劣っていると感じ、身は入らなかった。そんな中、小学4年で出会ったフェンシングに転向。剣を使い戦う“真剣勝負”は、伊藤の童心をくすぐり引き込んだ。

 二ツ井高(現在は閉校)を経て強豪の中大へ。卒業後は企業や、自衛隊体育学校などで競技し、佐賀国スポへ向け強化を図っていた佐賀に2022年、スポーツメンターとして加わった。

フェンシングができる喜び

 常に五輪出場という夢へ向かい、国内の第一戦でしのぎを削り続けてきた。16年のリオ、21年の東京、そして24年のパリ―。国際大会でも表彰台に上り、計約10年にわたり猛アピールを続け、団体メンバー4枠を懸けたし烈な争いに必死で食らいついた。

 しかし、伊藤が夢舞台で日の丸を背負うことはなかった。「テレビの試合中継をまともに見ることができないほどつらかった。放心状態だった」。いつもあと一歩の所で代表のいすを奪うことができず、ふさぎ込んだ。

 ただ、パリ五輪の選考に漏れた後、競技への心持ちに変化が現れた。「勝たなくてはならない重圧や、地位を築き上げたいと思う気持ちにとらわれていた」と振り返る。肩の荷が下りた今、「競技ができる喜びやありがたみに気づき、純粋にフェンシングを楽しむことができるようになった」

 佐賀国スポでは成年男子エペで優勝候補の筆頭に挙げられた佐賀県チームだったが、8位に終わった。満足する結果とは言えなかったが、引き続きSSPの一員として佐賀に残る決意を固めた。

 そこには「科学的な知見に基づいたフェンシングの指導がしたい」という伊藤の思いがあった。

順大大学院で学ぶ

 スポーツメンターとして競技に取り組む傍ら、佐賀と東京を行き来し、順大大学院で運動生理学を学んだ。「10年間、日本の最前線で競技してきた自負がある。佐賀を拠点に指導するだけでなく、フェンシングを通じた健康づくりなども広めていきたい」と意気込む。

 またエペの競技的特性を生かし、選手としてもさらなる高みを目指す。伊藤が専門とするエペは、攻撃権がなく体全体の有効面を先に突いた方が得点となるシンプルな種目だ。駆け引きが勝利の鍵を握り、サーブルやフルーレと比べても、息長く活躍できる種目でもある。

 春からは博士課程に進む伊藤。学識にさらなる磨きを掛け、自らの体を実験台にアップデートする。加齢で回復力などは落ちてくるが、正しくアプローチすれば神経系や筋肉はまだまだ伸びしろがあると確信している。「世界の選手と技術に大差があるとは思っていない。自分の体がどこまで進化できるのか、今は楽しみで仕方ない」。円熟味を増したベテラン剣士の成長曲線は依然、右肩上がりだ。

アスリート情報

伊藤 心選手
(いとう いのち)
競技: フェンシング
1990年生まれ。秋田県二ツ井町(現能代市)出身。小学4年から競技を始めた。二ツ井高(現在は閉校)―中大―順大大学院修士課程卒。チームSSPの一員として佐賀国スポは成年男子エペ団体で8位入賞。今後も佐賀を拠点に競技を続ける。左利き。
伊藤 心
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