唐津の海から世界の大舞台へ
佐賀県ヨットハーバー職員として船の整備や高校生の練習の手伝いなどに汗を流しながら、競技者として世界を目指すセーリングの上園田心太浪選手。高校時代から馴染んでいる唐津の海をこよなく愛し、「(ヨットハーバーがある)西の浜は波が穏やかなのに沖に出ると急にうねりが出てくるなど、いろんな環境があり、玄界灘から吹く風もいい。選手一人ひとりの目的やレベルにあった練習ができる」と熱く語る。現在はダブルハンドの49er級が専門で、日本セーリング連盟オリンピック強化委員会の強化選手にも選ばれており、ペアの嶋倉照晃選手(早稲田大)とともに「目標はロス五輪」と夢を描く。
「海に浮かぶだけで楽しかった」
ヨットとの出合いは小学校入学前。2008年に開催された「おおいた国体」のセーリング競技が地元の別府市で開かれた時だ。丘の上の自宅から別府湾に浮かぶ真っ白なヨット群を眺め、興味を持ったという。国体の後に母親の勧めで兄や姉と一緒に地元のヨットクラブに入会。もともと自然の中で遊ぶのが好きだったこともあり、「海に浮かぶだけで楽しかった」と振り返る。それまではサッカーや新体操に取り組んでいたが、自然を相手にするヨットが性に合ったようで、小学4年には全国大会に出場するまでに成長した。
小学生から中学生にかけては競技自体も面白かったが、それ以上に「九州各地の大会を回り、会場で他県の友達と会えることが楽しかった」という。ヨットをずっと続けるとは考えておらず、「何か別のことをやってみたい」との思いもあった。競技に真剣に向き合うきっかけとなったのが、中3時の福井国体予選だ。高校進学を決める時期と重なり、「国体に出場できたらヨットを続けようと思った」。さまざまな思いを抱えながら臨んだ大会だったが、県予選、九州予選を勝ち抜き、初めての国体出場を決めた。
唐津を拠点にインターハイ3位
結果が出て、「ヨットを続けることにもう迷いはなくなった」。高校は親元を離れて唐津西高に進学。地元ヨットクラブの先輩が進学していたことに加え、大会で何度も訪れたことがある唐津の海も魅力だった。寮などなく完全な一人暮らしだったが、競技も含めて自由にやれる環境が気に入った。シングルハンドのレーザーラジアル級(ILCA6)に取り組み、両親やコーチの協力を受けながら、いろいろな大会に出場して経験を重ねた。高3時に和歌山県で開かれたインターハイでは3位入賞も果たした。「高校時代は毎日ヨットのことしか考えていなかった。この時の経験が今の土台になっている」という。
高校を卒業後、茨城県で就職し、競技を続けた。種目はオリンピックを意識して49er級に変更。それまでは1人乗りばかりで2人乗りは初めてだったが、「2人がそれぞれの役割を持って動くのが面白かったし、コース取りも相談しながら決められる。だれかとやるのもいいなと思った」という。ただ、しばらくしてペアは解消。国スポに向けて強化を進めている時期でもあり、「佐賀に恩返しがしたい」と唐津に戻った。唐津では1人乗りで五輪を目指したが、高校時代から競い合っていた嶋倉選手がペアを探していることを知り、再び49er級に。パリ五輪を狙ったが惜しくも出場はかなわなかった。
まずはアジア制覇、ロス五輪へ
現在は、嶋倉選手とともにロス五輪を目指し、本場の欧州をはじめ、アジアなどで開かれる世界レベルの大会に挑戦中。「オリンピック出場経験があるような選手たちと勝負できている」と手応えを語る。欧州のレースで使うヨットを購入するなど金銭的な負担は増えているが、「まずはアジア大会で優勝することが目標。そのためにも嶋倉選手とともにチームの技術を向上させていきたい。その先にロス五輪出場がある」と意欲を見せる。