インターハイの悔しさバネに大学王座へ
高校最後のインターハイ、ウエルター級の太田成恒(なち)選手(18)は決勝のリングに立った。過去2年は初戦で敗退し、「今年こそは」との覚悟で臨んだ。相手は遠い距離からのカウンターが得意な選手。いかに自分の距離で戦えるかが勝負の分かれ目だったが、前半は相手のペースに持ち込まれた。「判定になったら負ける」と巻き返しを図った最終第3ラウンドは連打で相手を追い詰め、最後まで闘志を燃やし続けたが、一歩及ばずに惜敗。「負けるつもりは全くなかった。めっちゃくちゃ悔しかった」と振り返る。
空手で培ったパンチ、ボクシングで輝く
小学校時代は空手に熱中し、九州大会で5回の優勝を果たすなどの成績を残し、黒帯も取得した。ボクシングに出会ったのは中学1年の夏。コロナ禍で空手ができなくなったことをきっかけに、コロナ禍でも活動が続いていたボクシングに興味を持った。先にボクシングを始めていた姉・彩睦(あむ)さんの影響も大きかったという。佐賀市のジムに通い始めたが、「最初は走る練習が泣きそうになるくらいキツかった」と笑う。顔へのパンチが禁止されていた空手と違い、顔にパンチが飛んでくることも「最初は怖くて戸惑った」というが、大人ばかりだった空手道場と違ってジムには同年代の選手が多かったこともあり、「仲間と励まし合いながら、賑やかに練習できて楽しかった」と話す。
1年ほどすると走る練習にも慣れ、顔を殴られる恐怖心も薄れてきた。それと同時に自身の成長も感じており、「スパーリングで前にできなかった動きができた時や、自分のスパーリング動画を家でチェックした時に強くなっていると思った」。空手で培ったパンチの打ち方や回転力にも磨きが掛かり、中学2年で出場した全国大会で準優勝、中学3年で出場した全国大会では68キロ級で頂点に立った。
スタイルの改善から頂点、大学でも王座へ
高校は、中学2年のころから練習で訪れていた高志館高に迷いなく進学。入学当初は勝てない時期が続いて悩んだこともあったが、走り込みなどで体力や筋力の増強に取り組んだ。転機は高校2年の時。「リーチの長さを生かせ」と監督からアドバイスされたことをきっかけに、インファイトからアウトボクシングにスタイルを変更。遠い距離から相手を叩くことを意識しつつ、中学時代から培ってきた接近戦の技術も併せて生かすことで徐々に勝てるようになり、高校2年の春の全国選抜では、ウエルター級で全国の頂点をつかんだ。
高校時代、一番印象に残る試合は惜敗した高校3年のインターハイ決勝。大会前に利き手である右手の拳を負傷し、痛みを我慢して試合に臨んだ。決勝の相手は1年生ながらアジア大会で優勝した経験がある強敵。積極的に打っていったが及ばなかった。「拳さえけがをしていなければ」と悔いは残ったが、すぐに気持ちを切り替えたという。
大学は強豪・東洋大へ進む。階級はライトミドル級に上げるつもりだ。自身の強みは「重量級にしてはスピードと回転力があって、インもアウトもできる」と分析。大学ではフィジカルを鍛えるとともに「苦手なカウンターを強化したい」と意気込む。大学でまず目指すのは、関東リーグで階級賞を取り、大学王座に就くこと。その先にあるのは「全日本選手権で優勝し、海外で試合をしたい」という大きな目標だ。