金メダリスト、佐賀で新たな挑戦
「すべての大会でメダルを取るつもりで臨んでいきたい」。2025年9月に行われたフェンシングの男子エペ日本代表強化合宿。佐賀を新天地に選んだ山田優選手は、さらなる飛躍を誓って力強く語った。東京五輪団体で日本人初の金メダル、パリ五輪でも銀メダルを獲得するなどフェンシング界の歴史を動かした〝剣の名手〟だ。
東京で悲願の金メダル
幼い頃の山田選手は、少し動けば咳が出てしまうほどの小児ぜんそく持ちだった。いくつかのスポーツクラブで加入を断られたが、「少しずつやってみよう」と受け入れてくれたのがフェンシングだった。当時、専門種目としていたのは日本で主流だったフルーレ。小柄な日本人向きとされているフルーレだが、どの大会に出てもベスト8止まりのメダルとはほど遠い選手だった。
転機が訪れたのは中学2年生の頃。「ちょっとやってみようかな」と参加したエペの大会で、突然声をかけられた。「一緒にオリンピックを目指そう。君はエペの選手になるんだ」。当時の日本代表コーチのオレクサンドル・ゴルバチュク(通称サーシャ)さんだった。ふたつ返事で転向を決め、二人三脚でメダルを目指す日々が始まった。
「フェンシングは守るものじゃない、突くものだ」。サーシャから〝攻めのフェンシング〟を学んだ山田選手は、めきめきと実力を伸ばし常勝フェンサーへと成長を遂げた。「昔の試合映像を見るとまったく別人のような動きをしているんです」。意見の違いから衝突することも多かった2人だが、「息子のように思ってくれていたからこその指導だった」と山田選手は語った。
満を持してピストに立った東京オリンピック男子団体では、決勝までの4試合すべてに出場。決勝戦では先発しチームにリードを作るなど流れを呼び込んだ。初めて手にした金メダルは「本当に夢のようだった」と当時を振り返る。
佐賀から新しい息吹
2025年に地元三重から佐賀県へ拠点を移し、TeamSSP所属となった。現役選手として自身の腕を磨くだけでなく、佐賀県内の小学校へのフェンシング出前授業を企画するなど競技人口の拡大にも努める。山田選手が目指すのは、強い以上に応援される選手。「応援があるときが一番楽しいし、いいパフォーマンスを出せる自信もある」という。サーシャとの出会いで自身の人生が変わったように、「山田選手みたいになりたい」という思いが、誰かがフェンシングをはじめる一歩になればと青写真を描く。
数々の大会でメダルの山を築いた山田選手の次なるゴールはアジア大会3連覇。「好きこそがすべて」の言葉を信条に、日本のフェンシング界に新しい息吹をもたらす。