日本代表の誇りと自信

「デフリンピック」ダブルスで8強

 スマッシュの破裂音や小刻みなフットワークの音が響き渡るバドミントンの練習会場。だがデフリンピアンの永石泰寛選手には何も聞こえない。必死にシャトルに食らいつき、社会人選手らとのトレーニングに励んでいる。
 長年の目標だったデフリンピックは、新型コロナウイルス感染症の影響で2021年の開催が1年延期となり、今年5月、ようやくブラジル南部の町カシアス・ド・スルで開かれた。シングルスは決勝トーナメントの初戦で負けたが、ダブルスではベスト8に入った。だが目標だったメダルには手が届かなかった。団体戦で日本はバドミントン競技初の銀メダルを獲得したが、団体戦のメンバーに選出されなかったことも悔しかった。

〝自信〟が変えた

 子どものころから、バドミントンは大好きな遊びのひとつだった。転機はろう学校高等部のとき。学校の教師から、多久市にあるバドミントンクラブで健常者と一緒に練習することをすすめられた。そこで今も指導を受けている山下大介コーチと出会った。
 山下コーチは現役時代、全日本学生選手権(インカレ)団体優勝や、実業団時代には日本代表にも選ばれた実力者。控えめな性格だった永石選手にバドミントンの技術だけでなく、練習をすれば誰だって勝つことができる、成長できるという自信を持たせ、実際に試合で勝つことで向上心も芽生えさせた。高校総体では健常者と同じステージで戦い、思うような結果は出なかったが「自分も上を目指すことができる」という大きな自信を得た。

スイッチは「代表」

 ろう学校を卒業後は、小城市の特別養護老人ホーム「清水園」で介護助手として働いている。大会や合宿などで仕事を休むこともあるが、職場の理解もあり気持ちよく送り出されているという。仕事や生活の面で支えられていることも多いが、「いつも周りの誰かにサポートしてもらっている。感謝しきれない」。
 社会人になっても、週3回の練習は続けた。ろう者の国内大会で上位に入るなどの成績が出始めると、日本代表候補として声がかかった。この「代表」という言葉のインパクトは大きく、朝のランニング、自宅でのストレッチや体幹トレーニングなど自主練習にも力が入った。そして2014年、初めての日本代表として台湾であった第4回アジアろう者バドミントン選手権に出場。シングルスはベスト16、ダブルスはベスト4に入り、団体戦では銅メダルを獲得した。2021年開催の聴覚障害者のスポーツの祭典「デフリンピック」のメンバーにも決定。コロナ禍で大会が1年延期されたものの無事に出場できたが、目標としていたメダル獲得はかなわなかった。

何としてもメダルを

 課題はメンタル面の強化。ギリギリの戦いの中で、最後に笑うのはプレッシャーに打ち勝った選手だ。強化するには実戦の場で経験を積むしかない。これまで中止となっていた大会は、これから多く開かれるだろう。永石選手は「どんどん大会に出たい」と意欲を見せる。
 次のデフリンピックは3年後、東京で開かれる。光り輝くメダルを手にする姿を夢見て、シャトルを追い続けている。

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