HIGUCHI Masahiro

進化重ね世界の頂へ

ワールドカップ優勝、ワールドゲームズ銀

 2021年9月スロベニア。スポーツクライミングのワールドカップ(W杯)リード最終戦で、ついに表彰台の中央に立った。持ち前の高い持久力と力強さを発揮してのW杯初優勝。うれしさはもちろんあったが、「さらに強くなるためには、また違ったアプローチ、練習が必要だ」とも感じた。常に進化を続ける樋口のクライミング。その真骨頂が現れた瞬間でもあった。
 その真価は翌年、4年に1度開かれる非五輪競技・種目を中心とした国際競技大会「ワールドゲームズ」で発揮された。W杯の優勝後、ウェイトトレーニングを減らし、ボルダリングの練習を増やすなどオフシーズンの強化法を変えて望む新しいシーズンだった。リードの予選をギリギリ8位で通過。「できるだけのことをしよう」と気持ちを切り替えて臨んだ決勝に1番手で登場し、迷いのないスムーズな登りで高度を稼いだ。結果は銀。期待以上の成績ではあったが、「まだ通過点」とさらに上を貪欲に求める勝負師の顔を見せた。

父・樋口義朗氏

 クライミングとの出会いは必然だった。佐賀のクライミング界をけん引してきた樋口義朗氏(現多久高登山部顧問)の長男として誕生。幼少期から、遊びの一環で自然と登っていた。競技として壁と真剣に向き合ったのは中学進学後。友人たちが様々な部活動を始める中で、何をしようか、迷った。「最初は野球をやろうと思った」が、父親の義朗さんと話し合うなどして「球技よりも得意かも」とクライミングを選んだ。
 放課後、義朗さんが顧問を務める多久高登山部の活動に参加し、同高の高さ12メートルのクライミングウォールを毎日のように登った。才能は早くから開花。世代間で日本トップの選手に成長すると、中学3年時に挑戦した世界ユース選手権(エクアドル)のリード種目で2位に入る大活躍で周囲を驚かせた。
 文武両道を胸に佐賀北高に進学。「選手層も厚く、練習環境に恵まれている関東地方への進学を志望」し、早稲田大の門をくぐった。ただ、大学の登山部は「登山」がメーン。所属すればクライミングだけに集中することはできないため、個人でトレーニングを続ける道を選んだ。週4回程度、首都圏の様々なジムで壁と向かい合った。特定のコーチなどはなく、このころから「何でも自分で考えて練習し、登るようになった」という。

パリ、そしてロスアンゼルスまで

 出場した大会で、いつの間にか最年長選手になることも増えてきた。強みだったフィジカルの強さや持久力も、他の選手と大きな差はなくなってきた。だが、悲観は全くない。W杯など海外の主要な大会への出場回数が50回を超えた。追い込まれた時の処理能力やアドリブなど、経験があってこそ発揮できる力が備わってきた。ベテランならではの勝負勘は、これから大きな武器となるはずだ。
 2024年の佐賀国スポで「自分が活躍することが天皇杯への必要条件」と認識しているが、同年のパリ五輪、そして2028年のロスアンゼルス五輪も見据えている。進化を続ける孤高のクライマーが目指す頂は、まだまだ上にある。

樋口 純裕 選手

競技:山岳(クライミング)

ひぐち まさひろ

1992年9月7日生まれ。多久東部中―佐賀北高―早稲田大。父で高校登山部を指導する樋口義朗氏の影響で幼少期からクライミングを体験。中学進学後から本格的に取り組み、中学3年時に世界ユース選手権リード種目で2位に入る。以降、国内外の数々の大会で活躍し、2021年ワールドカップ最終戦(スロベニア)で優勝。2022年ワールドゲームズ(米)リード銀メダル。多久市出身。