WAKIYA Subaru
銃口の先に見据えるパリ
20歳の誕生日
成人したその日、広島市内にある銃砲店に20歳になったばかりの脇屋昴選手の姿があった。「銃を持つにはどうすればいいですか」。脇谷選手は店員に尋ねたという。
小さいころからハリウッド映画の銃撃シーンなどを見ては、純粋に「かっこいいな」と思っていた。だが銃を撃つのは、日本では簡単ではない。銃の所持に対して「銃砲刀剣類所持等取締法」いわゆる「銃刀法」で厳しく制限されている。まずは基本的に20歳以上で、都道府県公安委員会から「猟銃・空気銃所持許可証」を交付してもらう必要がある。
実は、中学卒業時にも銃を撃つ機会を探していた。「射撃部」がある高校への進学を考えていたのだ。広島県内にあることはあったが、実家がある呉市からは通学に2時間かかる。さすがにあきらめ、進学先に就職に有利な工業高校を選び、卒業後は地元の砥石メーカーに就職。貯金をして、20歳の誕生日まで備えた。
クレー射撃との出会い
銃を手にして狩猟をしてみたかったというが、まずは銃になれる必要がある。射撃場に通いクレー射撃をしていた。
クレー射撃は、直径11センチで空中に放出された標的(クレー)を、散弾銃(ショットガン)で撃ち壊す競技。主に、飛び去るクレーを撃つ「トラップ」と、左右に飛び交うクレーを撃つ「スキート」がある。
脇谷選手の専門はスキート。射撃場で練習をするうちに、周囲も驚くほど上達。大会に出場するたびに順位が上がり、あっという間に広島県代表として国体にも出場した。23歳の時には、東京オリンピックの強化育成選手にも選ばれた。2017年にはアジア大陸選手権にも出場し、全日本選手権も制した。日本代表としてワールドカップにも参戦したことで、2020年の東京五輪は十分に視野に入っていた。
だが、ここで大きな問題が噴出した。大会に出場するためには、会社を休まざるを得ない。代表合宿参加や国際大会出場となれば、1週間から2週間、家を離れることになる。有給休暇だけではとてもまかなえず、欠勤がかさんだ。当然、給料にも影響する。貯金を取り崩す日々が続いた。
広島、三重、そして佐賀
何とか仕事と射撃を両立させることはできないか。そう悩んでいたときに、2021年に国体開催を控えていた三重県で、アスリート就職支援事業があることを知った。持ち前の行動力で就職先を探し、2018年5月、三重県のガス会社に転職。安心して東京五輪を目指すことができる環境を手にした。
ところが五輪代表を選考する大切な年となった2019年、クレー射撃人生で始めて経験するスランプに陥る。原因が分からず、右往左往するうちに代表の座を逃した。いま振り返れば、「オリンピックという大きな目標に向かっていくにあたり、自分自身でプレッシャーをかけすぎたのかもしれない」と感じている。コロナ禍で様々な大会が中止となり、十分に活動できない日々があったが、いつの間にかスランプは脱していた。そして目標としていた2021年の三重国体に照準を定めていたが、2年連続の国体中止。三重での生活は不完全燃焼に終わった。
三重県の支援制度は、三重国体まで。その後は普通の社員と同じ働きを求められていた。だがその生活はトップアスリートにとって大変厳しいものであることは、広島での経験で分かっていた。
思い立ったら行動は早い。2021年10月、佐賀で開かれて大会に“飛び入り参加”。ぶっちぎりで優勝し、県内の関係者に衝撃を与えた。「佐賀で活動できる場所はないか」と佐賀県の協力も得ながら、金型製造の聖徳ゼロテック(佐賀市)との縁を得た。そして2022年4月、佐賀に来た。2024年は佐賀国スポ、そしてパリ五輪がある。忙しい年になりそうだ。そんな予感が伝わってくる。
脇屋 昴 選手
競技:クレー射撃
わきや すばる
1990年生まれ。広島県呉市出身。20歳からクレー射撃を始め、練習を重ねる打ちに急激に上達。数年で広島県代表として国体にも出場し、2017年には全日本選手権スキート種目で優勝。アジア大陸選手権、ワールドカップなどに日本代表として出場した。2022年4月から聖徳ゼロテック(株)所属。