TSUOKA Shoutarou

7人制の主役目指す

ユニバーシアード金獲得

 巧みなステップでマークを交わし、タックルを受けながらも果敢にタッチラインに飛び込んだ。2019年7月のユニバーシアード夏季大会7人制ラグビー競技・男子決勝の南アフリカ戦。日の丸を背負った津岡翔太郎選手(佐賀工業高出身、コカ・コーラレッドスパークス)が、後半の勝負どころで、金メダルを引き寄せる貴重なトライを決めた。
 「この大会がラグビー人生で一番大きなターニングポイントになった。日本代表への気持ちが強くなった」と語る津岡選手。40メートル4秒7の瞬発力と181センチの高さを武器に、7人制ラグビー日本代表候補として、東京五輪出場を目指している。
 福岡県出身で、野球少年だったが、中学校で先輩から誘われてラグビーに出合った。「自分の意思ではなく、強制的に連れて行かれました」と笑うが、持ち前の俊足で頭角を現し、高校は強豪・佐賀工に進学した。
 だが、すぐに大きな試練に遭う。1年生の冬に練習試合で股関節を骨折。2年生になっても春と冬に股関節を骨折し、グラウンドに立てない期間は合わせて1年半にも及んだ。それでも気持ちを腐らせずに競技を続けられたのは、「同じ寮で暮らす仲間の支えがあったから」。けがを克服して才能を開花させ、ラグビーの名門・帝京大に進んだ。

2度の大けが乗り越え

 トップ選手が集まる大学でも、持ち味のスピードで存在感を発揮。1年生から大学選手権に出場し、順調に力を伸ばしていったが、4年生の秋(17年)に再び大けがを負う。試合中の接触で強い脳震とうと神経根を損傷。右腕が動かなくなり、主治医から「治るかどうかは50%」と告げられた。「自分のことよりも、チームのために何とか試合に出たい」。懸命にリハビリに取り組んだが、集大成の大学選手権に出場することは叶わなかった。
 高校・大学と2度の大けがを乗り越えたことで、「支えられていることに気づき、人間的に成長できた」と話す津岡選手。18年4月にラグビートップリーグの「コカ・コーラレッドスパークス」(福岡市)に入団し、9月のトップリーグでウイングとして公式戦に復帰し、ラガーマンとして日本最高峰で戦い始めた。
 15人制が主戦場だった津岡選手が、転機を迎えたのは19年1月。選手発掘を目的にした25歳以下の代表合宿に参加し、7人制への適正が評価された。ユニバーシアードのメンバーにも選ばれて、期待に応えて「金メダル」の結果を出すと、次は日本代表合宿に練習相手として帯同。ここでも力が認められ、次はワールドシリーズメンバーに抜擢と、代表への階段を一気に上ってきた。

観客の記憶に残るプレー

 20年7月には、佐賀県が活動を支援する「SSPトップアスリート」に認定。「責任を大きく感じる。県民の期待に、結果で恩返しをしていくしかない」と、大きな目標に向かう気持ちがさらに強くなった。
 15人制を映画とするなら、7人制は「1話のドラマ」と例える津岡選手。一つ一つのプレーが得点に直結するからこそ、「いいプレーをすれば見ている人の記憶に残る。チームにとって得点がほしい時に取れて、流れを変えられる選手にならなければいけない」。東京五輪の大舞台に立ち、主役として、スポットライトを浴びるつもりだ。

津岡 翔太郎 選手

競技:ラグビー

つおか しょうたろう

1996年、福岡市出身。城南中でラグビーを始め、スクラムハーフとして活躍。佐賀工高ではウイングやフルバックを務め、3年時に花園で16強入りした。帝京大を経てコカ・コーラレッドスパークス入り。2019年から本格的に7人制に専念し、同年7月のユニバーシアードで金メダル獲得。181センチ、85キロ。