YAMAMOTO Shunta

どんな舞台でも最高の結果を

「自分の力試したい」

 「自分が持っている力を試したい―」。常に上を見据えてラケットを振るうのは、パラ卓球の山本駿太選手。2024年に開催されるパリパラリンピック出場や、佐賀での全国障害者スポーツ大会優勝を目指している。
 山本選手は東京都出身。学童保育で卓球の楽しさを知り、当時現役選手だった福原愛さんへの憧れもあって、小学4年で競技を始めた。5年生で地元のクラブに通い、本格的に競技に打ち込んだ。
 その後、中学校進学と同時に鳥栖市に移住。田代中の卓球部に所属しながら、久留米市の卓球クラブでも練習に励んだ。3年時には中学総体地区大会で3位になって県大会にも出場し、健常者と同じ環境で力をつけてきた。

パラ卓球との出合い

 高校進学にはかなり迷ったという山本選手。県内の強豪校から誘いは受けていたが、「勉強についていけるかが不安だった」。ほかに卓球を続ける道がないか探した結果、母親が見つけたのが“パラ卓球”。パラ卓球には身体障害だけでなく、知的障害者のクラスが設けられており、「そこで上を目指そうと思った」。中学3年の末から競技の舞台をパラ卓球に移した。
 パラ卓球は通常の卓球とルールは同じ。競技を始めた当初は「全国ですぐに1位になれるだろう」と甘く考えていたというが、現実はもっと厳しかった。16年12月に初めて出場したFIDジャパン・チャンピオンリーグ卓球大会では、4人で争ったオープンリーグで4位と、ほろ苦いスタートとなった。
 中原特別支援学校への進学後も、上位を目指すためにクラブで練習に打ち込んだ。粘り強いラリーで相手に仕掛けさせ、強烈なフォアハンドで得点したり、得意なサーブを効果的に使って攻めたり、自分のスタイルを徐々につくり上げた。その結果、高校3年の18年10月、パラFIDジャパン・年代別オープン大会10代の部では初優勝を飾り、同12月のチャンピオンリーグでは、12人で争ったリーグで6位という結果を残した。

メンタル強化、さらなる成長を

 支援学校を19年3月に卒業し、現在は鳥栖市にあるピップの九州物流センターで働きながら、吉野ヶ里町のフォレスト卓球センターで練習している。昨年の年代別オープン大会10代の部では2連覇を果たし、チャンピオンリーグでは7位になるなど、伸びしろは十分。山本選手は「相手のオーラに押されてしまう」というメンタルの強化を課題に、さらなる成長を目指す。
 山本選手の大きな目標は、24年のパリパラリンピック出場とは別に、もう一つある。「24年での佐賀では、国スポの方に出場できるように頑張りたい」。競技人口がパラ卓球よりも多い国スポでの出場は簡単ではないが、「もし出られたら団体で優勝したい」と力を込める。「国スポに出られなくても、全障スポでの優勝を目指したい」と意気込み、どんな舞台でも最高の結果を出せるように準備をし続ける。

山本 駿太 選手

競技:卓球・パラ(知的)

やまもと しゅんた

2000年、東京都出身。小学4年から卓球を始め、中学校進学に合わせて鳥栖市に移住。2019年3月に中原特別支援学校を卒業後、ピップの九州物流センター(同市)で働きながら、吉野ヶ里町のフォレスト卓球センターで腕を磨く。18年のジャパン・チャンピオンリーグで6位入賞。日本知的障がい者卓球連盟の強化指定選手にも指定されている。