TANAKA Mitsuya

パラスポーツの可能性を信じて

競技歴3年でパラリンピック内定

 大学卒業後の進路を考えていたころ、2020年に東京でオリンピック・パラリンピックがが開かれるというニュースを聞いた。大学院進学という当初の目標があったが、障害者スポーツを支援する団体の求人が目に入ってきた。「自分も東京パラリンピックに関わることができるのではないか」という思いが、心の中で猛烈に膨らんだ。障害者スポーツの世界に飛び込んだ。
 障害者スポーツを支援する立場で、あらためて障害者スポーツが抱える問題に気づいた。スポーツをする場所や施設、移動手段、ケガのリスク等々、数え切れない課題があった。パラリンピックは、障害者スポーツの一部に過ぎず、これらの課題に一生をかけて取り組む価値があることにも気づいた。
 仕事をする中で、周りから「パラアスリートにならないか」と周りから誘われたこともあり、陸上やサッカーなど様々なパラスポーツを体験した。その中で、テコンドーが持つ格闘技としてのスリルや上達する達成感に魅了され、本格的に取り組むことを決めた。2017年、パラリンピックまであと3年という時期だった。
 だが、競技を始めて1年で国際大会優勝を成し遂げるなど、急激な成長を見せる。2020年3月、東京パラリンピックの代表に内定した。

スポーツを通して得た「自信」

 子どものころから剣道やサッカーを、健常者たちと一緒に競い合った。特にサッカーは高校でボランチとして活躍しチームの中心を担った。生まれつき両腕に障害があり、指は右手が1本、左手が3本。日常生活で困ることはほとんどないが、ことスポーツにおいては、取り組むことが難しいスポーツも、当然ある。だが障害と「うまくつき合う」ことで、様々な成功体験を重ねることができた。自己肯定感や自信。成長のために必要な要素は、スポーツから得てきたことが多い。
 東京パラリンピックに何らかの形で携わりたい、そう思って始めた障害者スポーツとの関わりだったが、「パラリンピアン」として、素晴らしい形で体現することができた。結果は2戦2敗と望んだものではなかったが、短期間の準備でパラリンピックに出場できたという自負を糧に「もっと強くなる」ことを誓った。

パリを目指して、佐賀へ

 2024年のパリパラリンピックを目指し、再スタートを切った。舞台は佐賀。以前から親交があった濱田康弘選手が開く佐賀市の道場「Hama House(ハマハウス)」の門を叩いた。全日本を10度制するという濱田選手とは同じ年齢ということもあり、ベテラン選手らしい「考えて戦う」スタイルを貪欲に吸収している。間合いや空間を読み、パワーやスピードに頼らない戦い方だ。
 パリへの道のりは、決して楽ではない。日本一ではなく、世界を相手に実績を積まなければ出場権は得られない。アフリカやヨーロッパ、中央アジアなどに強敵はぞろぞろいる。だが「アスリートとしての自分の可能性を信じている」と話す目に、迷いはない。パラリンピックでの1勝、そしてメダルという東京で得られなかったものに向かって、まっすぐに突き進んでいる。

田中 光哉 選手

競技:テコンドー(パラ)

たなか みつや

1992年、福岡県久留米市生まれ。幼少期に剣道やサッカーを始め、久留米高サッカー部のボランチとして活躍。大学卒業後、障害者スポーツ関連企業に入社。2017年、パラテコンドーを始める。2021年、東京パラリンピックテコンドー男子61キロ級(上肢障害)出場。名桜大学卒。電通デジタル所属。道場は佐賀市のHama House。