SUMI Masato

まっすぐ、謙虚に 目指すパリのマット

届かなかった東京五輪

 東京五輪への切符獲得でラストチャンスとなる世界最終予選(ブルガリア・ソフィア)。順当に1回戦を勝ち進んだが、続く2回戦でマットに沈んだ。「最後の五輪挑戦」と覚悟を決めていたが、夢をかなえることができなかった。
2013年に日本一の座をつかんでから、日本のトップレスラーとして走り続けてきた。それでも届かなかった五輪の舞台。「何が足りないのか」、「なぜ負けるのか」、徹底して考えた。「まだ自分には越えるべき壁があるし、きっと越えられる」。そう気づいたとき、気持ちはすでに2024年のパリを向いていた。

鳥栖工業高レスリング部

 中学までは硬式野球に打ち込み、中軸を任された。野球の練習のかたわら、姉が通う陸上教室にも顔を出していた。とにかく、体を動かすことが大好きな子どもだったが、心のどこかで「野球は中学まで」と決めていた。中学卒業後の進路は決めていなかったが、早く自立したいという思いもあり「働こうかな」とも考えていた。そんな時、陸上のコーチを通じて、鳥栖工業高レスリング部から声がかかった。
 正直、レスリングなるものを全く知らなかったが、「わからないからこそやってみたい」と、不安よりも好奇心が勝った。実際にやってみると、激しい動きに息が続かず、戦うどころではなかった。そうすると、壁が高いほど燃える本性に火が付いた。努力を重ね、監督らの意見を謙虚に聞いた。気が付けば、高校トップクラスの実力を身に付け、高校最後のインターハイでは3位に輝いた。

自衛隊体育学校で急成長

 高校卒業後の進路に選んだのは、数々のオリンピアンを輩出してきた「自衛隊体育学校」。施設、環境、どれをとっても日本最高クラス。高校の途中ぐらいから、オリンピックというものについて「ひょっとしたら」と考えていただけに、理想的なステージだった。少しの自信をもって門をたたいたが、最初のスパーリングで日本トップクラスの先輩選手からレベルの違いを見せつけられた。「30秒も立っていられなかった」。また一つ、高い壁を見つけることができた。「まずは3分、マットに立っていられるようになる」ことが最初の目標となった。
 自衛隊体育学校での生活も2年ほどが経ち、同年齢の選手らが練習している大学などへ出稽古をする機会があった。組み合った瞬間、「あれ?」と感じた。高校時代までは力が拮抗していたはずなのに、明らかな力の差。自らの成長を感じた。日ごろから日本トップ選手らと鎬を削る中で、いつの間にか力をつけていた。そして2013年、全日本社会人オープン選手権グレコローマン84キロ級で念願の日本一となり、これまでに全日本選手権と全日本選抜選手権を計9回制した。10年近くにわたり、日本のグレコローマンを先頭に立って引っ張ってきた。

パリ、国スポで「恩返し」

 パリ五輪への道は、東京の経験があるだけにどれだけ厳しいか、わかっている。だが、道筋は見えている。得意とするスタンドの力をベースに、リフトからの投げ技など世界で戦うための技術をあと一つ身に付けることができれば、パリのマットが一気に近づき、メダルも射程に入る。「結果で恩返しすることが選手の使命」と語る眼には、確かな覚悟が見えた。
 そして佐賀国スポには「絶対に出場する」と力を込める。個人、団体の優勝は「最低条件」で、「これまでにない圧倒的な成績で、佐賀を優勝に導く」。2024年、孤高のレスラーにとって最高の年にするべく、愚直に、レスリングと向き合う日々が続く。

角 雅人 選手

競技:レスリング

すみ まさと

1994年生まれ。鳥栖市出身。鳥栖工高でレスリングを始める。2011年、高校3年時のインターハイでフリースタイル74キロ級3位入賞。卒業後、自衛隊体育学校へ進み、2013年、全日本社会人オープン選手権グレコローマン84キロで初めての日本一に。全日本選手権、全日本選抜選手権の優勝は計9回。世界選手権にも出場し、2018年のアジア選手権ではグレコローマン87キロ級で2位に。東京五輪は惜しくも世界最終予選で逃すも、2023年のアジア大会では銅メダルを獲得。2024年のパリ五輪出場とメダル獲得を目指す。田代中―鳥栖工高。自衛隊体育学校所属