HAMADA Yasuhiro

悲願の五輪へ

日本のテコンドーを牽引

 日本のテコンドー界を牽引してきた濱田3きょうだいの長男。2021年12月、大阪府堺市であった全日本選手権、男子74キロ級で同大会9度目の優勝を果たした。29歳、初戦の相手は高校生で年の差は10歳以上。すでにベテランの域にあるが、「決して調子は良くなかった。どちらかといえば、すごくつらかった」と、日本一の偉業も淡々と振り返る。
 大会出発の前日、いつものようにトレーニングを終え帰宅した。夜、右足先に覚えのない痛みが走る。「朝にはとれるかな」と深くは考えず、床に就いた。翌朝も症状は改善せず、ひどい内出血をしていた。歩くだけでも痛みが走るが、そのまま試合会場に向かった。到着後の計量では、周りの選手に悟られないよう、慎重に歩いた。12月12日の試合当日もテーピングなどの対応をするが、効果はほとんどない。それでも決勝まで、主に左足一本でけがを知られることなく進み、優勝という定席までたどり着いた。
 帰佐後、病院を受診すると剥離骨折していた。全治6週間。久しぶりのけがだった。

渇望する「修業の場」

 東京五輪でも出場権を競った鈴木リカルド選手が68キロ級に出たことで「ほぼ敵はいなかった」という。この2年、これまで当たり前のように出場していた国際大会が開かれていない。勢いと力、スピードで迫ってくる欧州勢、隙のない洗練された高い技術を備える韓国中心のアジア勢、そして成長著しいアフリカ勢など世界の強豪と競い合う国際大会は、何よりの修業の場であった。自分の立ち位置を確認できる舞台が奪われたことで、競技に対するモチベーションの維持は簡単ではなくなった。
 2016年のリオデジャネイロ、そして東京と2度の五輪出場を目の前で逃した。次のパリまであと2年半。年齢を考えると、簡単ではないことは誰よりわかっている。3度の五輪出場をした妹の濱田真由も、弟の濱田一誓も競技とは一線を引いた。二人とも股関節を手術するなど、けがとの戦いが続いていた。「いつまで現役でいられるか、正直分からない。ただ、体は動くし、まずはこの一年、という思いで続けている」。
 2021年7月、五輪マークが輝くコートに立った。男女混合団体戦のデモンストレーションの一員として。久しぶりに感じた、外国人選手特有の動きや感触は「なんだか懐かしかった」。旧知のコートジボアールの選手とも再会し、シャツを交換した。心地の良い時間だった。

そして、パリへ

 自らの道場を立ち上げてもうすぐ2年。「現役選手だからこそ伝えられることがある」と思い、競技をしながら指導もする道を選んだ。練習では、細かな指導はしない。「自分の練習を見て、何か感じ取ってくれたら」と考えている。けがとの付き合い方、試合に向けて体を仕上げる姿など、若い選手たちには何よりの教材となる。
 長期の目標は立てていない。一日一日、できることをする。「パリまでは続けるか」との問いに、「続けてもそこまでですね」と笑う。3度目の五輪挑戦。29歳のベテランには、その道筋が見えているのかもしれない。

濱田 康弘 選手

競技:テコンドー

はまだ やすひろ

1992生まれ。佐賀市出身。佐賀西高-埼玉大。強く健康に育ってほしいという父のすすめで、実家近くにあったテコンドー教室に4歳ごろから通う。中学時代は陸上に取り組むが、高校から本格的にテコンドーを再開。高校3年時(2010年)にジュニア日本一に輝き、全日本選手権は2013年以降、21年12月の大会まで優勝9回。ベンチャーバンクホールディングス所属。